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アンデスの旅 ボリビア編(後編)
- 2010-02-02 (火)
- ラングランドカルチャー
こんにちは、前回、前々回と南米(ペルー~ボリビア)の旅をお伝えしてきましたが、
今回が最後です、ご興味のある方はしばしお付き合い下さい。
今日は、ウユニ塩湖中心の紹介となりますが、首都ラパスから500km南にあるウユニへ行くのに
片道10時間、つまり往復に丸2日必要なので、最低でも3日をウユニ観光に充てなければいけません。
「500kmで何故10時間も?」というのはごくごく素朴な疑問だと思いますが、
それもそのはず。半分は舗装もされていないオフロードを走っていくことになるからです。
ちょっとした川なのですが、車のための橋がない為、普通の車では走行が難しいのは明らか。
(写真左に見える橋は、週に数本程度の鉄道用。前方には、川の水で洗車する光景も・・・)
その他、工事中の道を走ったりと、日本では考えられない規格外の体験は挙げればキリがありません。。
塩湖には、ジープのような四駆車でないと入れないため、ドライバー&ガイドとともに3日間過ごしました。
道中、リャマや野生のフラミンゴに遭遇するなど、日本ではなかなか得られない経験も。
ウユニに近づくにつれ、乾いていくのが分かります。
いよいよ塩湖、突然この写真だけ見せられると、
「これは雪?!ここはどこ??!」と思った方が多いと思います。
最高地点は3,760m、ほぼ富士山と同じ高さに見渡す限り真っ白な世界が広がっています。
塩湖の面積は約1万2,000k㎡、宇宙からも真っ白な塩湖を確認できるほどです。
塩湖内にある、と言っても、入り口から1時間ちょっと車で走ったところに“Isla de Pesca(魚の島)”と
呼ばれる陸があり、そこが湖内のほぼ唯一と言ってもいい観光地。
塩の上に水が張ると、下の写真のように、まるで鏡で反射しているかのような光景を目にできます。
こればかりは、天候次第。
私が訪れたのは、雨季でしたので、場合によっては雨が降りすぎて、塩湖内に入れなかったりすることも
あるそうですし、雨が全く降らなければ、このような光景を目にはできませんでした。
ただただ、このような幸運に感謝するばかりでした。
塩湖からすぐ近くにある、“塩のホテル”。
ウユニで見た夕陽は格別でした。
ナスカの地上絵をパスしてまで、ボリビアまで足を伸ばした甲斐は充分にありました。
何の音も一切聞こえない、見渡す限り白い世界と遥か彼方の山々がある広い空間で見た空は
それはそれは言葉にはできない感動を与えてくれました。
思えば私達、特に首都圏で生活している方々は、真夜中でどんなに静かにしようが
何かしらの音に囲まれて日々生きているもの。
電気のかすかな音だったり、遠くに走る車や電車の音などなど、
よほど山奥に行かなければ、一切の音を遮断するのは不可能に近いでしょう。
現在、ウユニでは空港建設中とのことですが、はたして完成はいつになるのでしょう・・・。
リチウムが採掘できるとあり、日本の商社も既に現地で活躍されています。
便利になり、より多くの人が簡単に訪れることに違いはありませんが、
何十年後には、今と同じ姿が見れなくなってしまうのかと危惧してしまう自分がいます。
是非、ご興味とご縁がありましたらウユニへ足を運ばれることをお薦めします。
スタッフS.S
アンデスの旅 ボリビア編(前編)
- 2010-01-25 (月)
- ラングランドカルチャー
前回のペルー編に引き続き、今回はボリビア編(前編)にお付き合い下さい。
まずは、交通手段ですが、ペルーから陸路で長距離バスを使い
途中、いくつかの遺跡を巡りながらのバス旅行を楽しみながら、プーノ(ペルー)で一泊。
チチカカ湖を眺めながら陸路で国境を越え、ボリビアへと入国しました。
電車は、本数が極めて少ない為、バスを使うことが一般的のようです。
もちろん、クスコから飛行機を使うこともできますが、
旅行において、あまりに楽をしすぎると、大切な多くのことを見落としてしまいます。
途中にある遺跡に数箇所連れていってくれるバスを利用しました。
ドイツ製のしっかりしたバスで、シートは豪華、快適に長距離移動できました。
アンデスの山々を眺めながらの道中、
どんなに生活環境が厳しくても、人間はどこでも生活していけるのだなと考えさせられました。
働く子供をたくさん見かけました。
親とともに畑仕事を手伝ったり、靴磨きをしたり・・・、その光景はごくごく当たり前の日常生活を送る
彼らの自然な姿として、異国からの観光客の前でもいつものそれと何ら変わりません。
とりわけ、家族の絆が強いことを思わせる光景に多く出くわし、
そのことは自然なことであれ、現代の日本と比べるととても羨ましくも感じました。
ペルー→ボリビアへの国境越えの際、バスから一旦降り、入国管理事務局へ。
事務局内には、早速モラレス大統領の写真が私達をお出迎え(写真上)。
ボリビア初の先住民出身の大統領ということで、
この国においては支持されているのだなとわかる人々の話や、雰囲気はあちこちで感じました。
ちょうど、ボリビアの首都ラパスへ入ったのが、12月31日だったため、
多くの人が夕方買い出しでごった返す光景に出くわしました(写真下)。
南半球ですから、季節は夏なのですが、やはり標高が高いこともあり
太陽が出てさえいれば昼間は半袖でも過ごせますが、上着は常に必需。
下の写真は18時頃。夕方ともなるとご覧の通り、皆さん着込んでいます。
写真(上)は、ラパス市内ではあるものの、すり鉢上に家々が立ち並ぶ街の一番高いところ、
すなわち土地が安く、後から移住してきた人が多く住むEl alto(エル・アルト)という貧困層の街です。
地方から越してくる人が後を絶たず、人口は爆発的に増えているのだそう。
ちなみに、エル・アルトの標高が約4,300m。
ラパスの空港もこの高さにあり、日本から直接ボリビアに降り立つ人は、
あまりの標高差に高山病になりやすく、実際にそういう方にお会いしましたが、
100m歩くごとにカフェで一休みしていたと苦笑されていました。
幸い、私はペルーから徐々に標高に慣れていたため、問題ありませんでしたが、
南米のサッカーW杯予選などでは、よくブラジルやアルゼンチンなどの強豪が、
敵地ボリビアへ乗り込み苦戦(敗戦)するというニュースを見聞きしてはいましたが、
実際現地に行ってみると、それは実感として大いに納得できるものでした。
むしろ、過酷な運動をかの地で行うのは、身体を危険にさらせるようなものだと・・・。
新年のカウントダウンは、長旅の疲労と身の安全も考慮し、ホテルの部屋から眺めるだけにしましたが、
(例えはあまり良くありませんが)まるで湾岸戦争の映像を思い出すくらいに
花火や爆竹が飛び交い(実際に火事が起こりそうなほど)、いかにも南米らしい騒ぎ様を垣間見ました。
さて、何故今回ボリビアを選んだのか・・・その最大かつ唯一の理由はウユニ塩湖でした。
日本でもにわかにテレビ等で露出も増えてきた、知る人ぞ知る秘境と言ったら大げさかもしれませんが、
世界遺産にでもなった日には、多くの観光客が押しかけるであろう場所。
実は、あまり人に教えたくないと本気でそう思わせる(だって、あの場で人混みには遭遇したくない・・・)、
そんな場所が、ボリビアのウユニという土地です。
ここへ行くためにはラパスから車で片道10時間。
それも、半分は未舗装の道。
砂埃を立てながら、ひたすら遥かかなたの地平線めざし、車を走らせます。
秘境に行くには、苦労があってこそ・・・。
この続きは、次回お楽しみに。
スタッフS.S
アンデスの旅 ペルー編
- 2010-01-21 (木)
- ラングランドカルチャー
年末年始の休みを利用し、南米(ペルー、ボリビア)に行ってきました。
日本からは地球の裏側。なかなか行く機会はない地域だからこそ、
行った者には両国の魅力を伝える義務があると勝手ながらそう感じ、
この場を借りて、私スタッフS.Sが紹介させて頂きます。
今回は、前編ということでペルーのご紹介です。
訪れたのは、首都リマ、古都クスコ、ご存知マチュピチュ、そしてペルーとボリビアにまたがるチチカカ湖。
とりわけ、ペルーを訪れるほとんどの観光客の目的はマチュピチュでしょうし、
その観光拠点でもあり、インカ時代の古い街並の残るクスコの2ヶ所は外せません。
(今回、ナスカはルート上の問題で、残念ながら外しました)
・・・前置きはこれくらいにして、早速皆さん気になるマチュピチュから。
「空中都市」あるいは「失われた都市」と形容されるマチュピチュは、
1450年頃、インカ帝国第9代皇帝パチャクティの時代に始まり、
スペイン人に征服される1530年頃までの約80年間インカの人々が生活していました。
主には、インカ王や貴族の離宮としてなのですが、
海抜2,400mもあり、麓(バス乗り場)からも400mもの高低差があるので
どうしてこのような場所に・・・という「???」が頭の中を駆け巡ります
あまりにも有名なこの遺跡は、実は麓から入り口までバスが我々を乗せてくれますので、
山登りをしなければ辿り着けないというわけではありません。
まずは、首都リマから国内線で約1時間のフライトでクスコへ。
標高1,500mほどのリマから、3,600mほどあるクスコへ降り立つと
さすがに空気の薄さに身体は敏感に反応します。
クスコからは、車(バス)か電車でマチュピチュの麓、アグアス・カリエンテスまで
行くことになるのですが、最低でも約3時間を要します。
成田→ロサンゼルス→リマ→クスコと飛行機を乗り継ぎ、
真っ先にマチュピチュを目指す場合、目的地に着いた頃には
24時間以上の移動時間と時差ボケとで疲労が蓄積したまま憧れの地へ行くことになりますが、
そんな疲れも吹っ飛ぶほどの光景が我々を迎えてくれます。
麓からは、バスが10~15分ごと(乗客がある程度乗ったら出発)に出ていて
30分でマチュピチュ入り口へ。
歴史などの詳細はコチラに譲りますが、
朝もやに包まれた神秘的なマチュピチュを目の前にすると言葉を失います。
少しずつ姿を現すマチュピチュを臨む贅沢は、早起きしてこそ。
昼近くにもなると、世界中からの観光客がごった返し、趣きも薄れますが、
朝一番、人がまだいないマチュピチュを高台から臨む贅沢は、お金では買えません。
マチュピチュの写真には必ずといって写っている山がワイナピチュ山↓(画面真ん中奥)。
ワイナピチュへの登山は、1日に400人という入場制限を設けている為、
朝早くから整理券目当てに並ぶ必要があります。
(7:00又は10:00の選択制)
さらに下の写真は、ワイナピチュ山の上からマチュピチュを臨む光景(片道約1時間)。
途中、ワイヤーロープに捕まって登る急斜面な箇所もあり、
どうやってこんなところに建物を建てたのか、、、まさに謎でした。
是非、時間に余裕のある方にはお薦めです。
画面左側に見えるヘビのように這う道はバス通り、ハイラム・ビンガム・ロード。
かなりの急斜面をかなりのスピードで駆け降りて行く復路は、かなりのスリル・・・。
ひきりなしにバス同士のすれ違いもあるのですが、狭い道を上手く行き来している
ここの運転士達の腕は相当のものでした。
上の写真は、マチュピチュ内に放されているリャマ。
実は、チリのとある会社がCM用にと連れてきたリャマが増えてしまったのだとか・・・。
最後に、インカ帝国の首都クスコについても少しだけ触れておきましょう。
標高約3,400mにあるクスコ市内には、インカ時代の壁がそっくりそのまま残っていて、
美しい石畳の道は、さながらヨーロッパの古い街並を彷彿させます。
下の写真は、有名な12角の石。
当時の高度な技術が簡単に見て取れます。
これほどの石造技術を持ちながらも、残念ながらインカ帝国には文字がなかったため
記録が残っておらず、ある程度の解明はされているものの謎が残っているというのが現状。
街中、あちこちで見かけるアルパカ、リャマを連れた先住民(写真下)。
観光客に写真を撮らせることでチップを貰っています。
勝手に写真を撮ると、“Paga! Paga!!(払え~)”と請求されます。
おばあちゃんか、女の子がほとんどですが、タダでは撮らせてくれません。
残念だったのは、石畳の道をひきりなしに車が走るという交通事情。。
それも、日本と違い、古いタイプの車(先進国からの輸入された中古車でしょう)が
大量の排気ガスを吐き出してブンブン走っているのですから、
日本から来た人間には、ここの空気は辛かったです・・・。
しかも、信号がほとんどなく、歩行者はタイミングよく横断するしかありません。
そんな喧騒的なクスコも、時代の流れを汲み、
5~10年後には変わった姿を見せてくれるのでしょうか。
そんなことを考えながら、空気の薄いクスコをあとにしました。
次回は、ボリビア編をお伝えします。
2010 FIFA WORLD CUP
- 2009-12-20 (日)
- ラングランドカルチャー
今年もあと10日ばかり、この時期、
皆さん慌しい日々を送っていることと思いますが、いかがお過ごしでしょうか?
さて、2010年の大きなイベントのひとつ、サッカーワールドカップが初めてアフリカ大陸での
開催(南アフリカ)ということで、色々な意味で興味深いわけですが、
先日、皆さんもご存知の通り、予選グループの組合せ抽選会が行われましたね。
日本は、オランダ、デンマーク、カメルーンという強豪揃いのグループに入ってしまい
今回ばかりは、ほとんどのマスコミも“希望薄”という論調が多いように思います。
さすがに、前回の教訓として・・・同じ轍は踏みたくないのは誰しもが考えること。
それは、サッカー協会も、選手も、マスコミも、はたまた国民もそう考えていますよね。
現実的には、オシム前日本代表監督が、相変わらず的を射たコメントを出していまして
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/wcup/10southafrica/text/200912050004-spnavi.html
彼のおっしゃるとおりだと思いますが、はたして結果は・・・やってみないことには分かりませんね。
当スクールには、世界中からネイティブの講師が集まり、日々各国語が飛び交っているわけですが、
やはり、このサッカーワールドカップというイベント期間中においては、
特にヨーロッパの男性講師ときたら、いつもの様子と違うのが見て取れます(笑)。
イタリア、スペイン、フランス・・・ヨーロッパの舞台でも日頃凌ぎを削っている強豪国が、
世界の大舞台でも熱い戦いを繰り広げるわけですから、ヒートアップするなという方が・・・。
イタリア語では、アレッシオ先生、ジョルジョ先生、マウリッツィオ先生、マルコ先生が、
スペイン語では、アマデウ先生、ヴィセンテ先生、そしてフランス語ではイシャム先生が、
とりわけ期間中、目の色が変わっているかもしれませんのでご了承下さい(笑)。
開催国南アフリカについて興味がある方は、土曜日新宿校にてレッスンしているマンセル先生が
かの地出身ですので、貴重な情報を聞けるかもしれませんよ。
とにもかくにも、6月が待ち遠しいスタッフS.Sでした。
今年も大変お世話になりました。
皆様、良いお年をお迎え下さい。
奈良 唐招提寺
- 2009-11-14 (土)
- ラングランドカルチャー
先日、落慶法要が営まれたばかりの
奈良西ノ京にある唐招提寺へ足を運んできました。
鑑真和上で有名ですね。
奈良時代に建立された金堂は、平安、鎌倉、江戸、明治にと
改修されたそうで、今回は110年ぶりの「平成の大修理」。
2000年より9年に渡り全面解体修理が行われ、今月4日より一般公開されています。
金堂内の本尊の盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)や千手観音立像、
薬師如来立像などの8~9世紀頃の仏像も修理されたそうです。
ちなみに、すぐお隣の薬師寺も、
現在、国宝である東塔が、来秋からの解体修理のための
足場が下記のように組まれています。
こちらも約110年ぶりの解体。
すべて一旦解体し、歴史上初とも言われる基礎部分の発掘調査も
行うそうですので、何が出土されるのか興味深いところです。
来秋から、実に10年ほどの歳月を予定しているそうで、
その間、寂しい想いもしますが、長い歴史において必要なことですね。
修理と言えば・・・、姫路に飛びますが、
これまた国宝の姫路城も「平成の大修理」中。
知らずに行ってみたら修理中だった・・・ということもあるかと思いますが、
それもまた一興。
長い歴史の中のほんの僅かな修理期間に巡り合えたと思えば
それもまた良い思い出になるのではないでしょうか。
生きているうちに一度しか立ち会えない機会なのですから。
現在、奈良では興福寺にて『お堂で見る阿修羅展』、
奈良国立博物館においては『正倉院展』が開催中により大混雑。
鹿さんも人の多さに驚いている模様です。
最後に、個人的に奈良で好きなお店をご紹介します。
「遊 中川」
東京にも店舗がいくつかありますので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
伝統的な麻を扱ったアイテムが、日本人の心のふるさととも言える大和の国、
奈良に根ざして発信されています。
オンラインショップはコチラ。
定番アイテムは、「花ふきん」。
それ以外にも、思わず欲しくなってしまう小物がたくさんありますよ。
私もよく利用させてもらっていますが、つい誰かにプレゼントしたくなる品が多く、
贈り物などにも喜ばれるかと思います。
スタッフS.S
富士山
- 2009-08-11 (火)
- ラングランドカルチャー
先日、富士山(3,776m)に初登頂してきたスタッフS.Sです。
言わずと知れた日本一の山、富士山ですが、バスツアーを利用し、初めて登ってきました。
残念ながら、山頂からの御来光は拝めなかったものの、達成感はなかなかのモノでした。
(当日、山頂は曇っていたものの、八合目からは見ることができたそうです)
今回、私が利用したのは、案内人が8合目まで同行する東京からのバスツアーだったのですが、
30人ほどのパーティーでしたので、老若男女様々な方がいらっしゃり、
ゆっくりゆっくりと集団を引率してくれたことは初心者にとって、その後の体力温存でき非常に有益でした。
前日は終電近くまで焼肉にビール、そして睡眠時間3時間ちょっと、、、
明らかに富士山を舐めていた(わけではないんですが・・・)私は、内心、
高山病まっしぐらなのでは・・・と冷や冷やしていましたが、
案内人のペース配分も幸いしてか、健康を維持できたのは幸運でした。
現地では、Tシャツにジーンズ、スニーカーという軽装の方もちらほら見かけましたが、
何とか登れるものの、疲労度などに大きな差があるのは明らか、、、
でも、本当にあの格好で登ってしまう方々には、ある意味敬意を表したくなるほどでした(笑)。
登り始めたのが、昼食後の13時。
登ったのは、一番メジャーな吉田ルート。
首都圏からのアクセスが良く、山小屋の数が最多で、救護所もあり、初心者には心強いコースです。
8合目の山小屋に19時頃到着し、夕飯のカレーを食べ、そのまま仮眠。
1畳に2人寝るくらいのスペースで、隣の人のいびきで私はほとんど眠れませんでした。。
(今回の登山で一番辛かったのが、この山小屋での睡眠・・・)
夜中の1時に山小屋を出発(その時間帯のトイレの行列は相当・・・)、
この頃になると、御来光目当ての多くの登山者が行列を作って頂上を目指していました。
ちなみに、2008年の登山者数はおよそ30万5千人。
あの人数は実際目の当たりにすると驚きます。
それはまるで、“巡礼”のようにも私には見受けられました。
山岳信仰の対象でもあり、富士信仰ということばもあるくらいですが、
正確には、本来の意味での“巡礼”とは一線を画し、宗教色は薄いのが現実。
それでも、たくさんの日本人(もちろん外国人もいますが)をああまでさせるのは、
富士山の持っている“何か”なのでしょう。
3時間ほどで無事、小雨降る山頂へ。
印象的だったのは、月が近いこと。
この日は満月でした。
まるで手の届きそうなところに、お月様が神々しく輝き、足元を照らしてくれました。
朝4時の時点ではまだ暗く、冬のような寒さの中、30分以上御来光を待った末、
残念ながら拝めませんでしたが、下山する頃には晴れ間がさし、奇麗な雲海に遭遇できました。
雨が降ったからこその雲なのかもしれませんし、当日の天気次第で、いくつもの顔を見せてくれるのが
自然のなせる業なのでしょうし、こればかりは行ってみてのお楽しみなのでしょうね。
下りは3時間半ほどで5合目まで辿り着きましたが、帰りの方が足には相当負担でした。
自分自身の足で(5合目からとは言え)雲よりも高いところまで登り、
下界を見下ろす気分というのは、何とも言えませんでした。
「富士山は眺める山で、登る山じゃない」と山好きの人は言いますが、
「一生に一度は富士山へ」、いかがですか?
登っている人の数だけ、それぞれの目標だったり、理由があります。
新婚ほやほやのカップルとお会いしたり(「富士山離婚しちゃったりしてね(笑)」
などと笑いがこぼれてきていました)、定年間近の男性で、娘さんたちを誘ったものの断られ、
挙句に周囲からは止められながらも挑戦、帰りは達成感に満ち溢れた表情が印象的だった方など、
そういったドラマを覗き込めたことも、グループで参加したことの醍醐味でした。
やはり、富士山には人々を惹きつける何かがあるのでしょうね。
軽々しくは「また登りたい」と言えませんが、、、
次回は、山登りの好きな両親と一緒に登れたら、幸せだなと思います。
ラテ子の初めて旅行体験記 Vol.4
- 2009-07-12 (日)
- ラテ子
グアテマラのティカル遺跡を堪能し車はまたまた、ラフな道を1時間半かけて国境へ。

Way to Tikal
ここでハプニングが発生!ベリーズに入国しようとした時、ビザがシングルエントリーだから入国できないと驚きの一言。「日本のベリーズ政府代表事務所でグアテマラに行っても入国には問題ないといわれてシングルエントリーのビザをくれたのにどうして?」と抗議してもムダ・・・ 「でも、すぐにビザは申請できるから、この書類に記入して写真を1枚提出してください」と言われました。でもなんとビザ料金は50US$。しかも写真も撮らなきゃ。あまり現金は持ち歩かないほうが良いといわれて50ドルも持っていなかった私・・・しかもカードも使えない・・・ いったいどうしたら・・・ するとドライバー兼ガイドのエクトールさんが「僕が責任持ってベリーズにつれて帰る」といって、グアテマラ側の国境へ戻り、まずは証明写真屋さんを探してくれたのですがなんとエクトールさんも現金50US$は持っていなかった・・・。ATMの機械などあるわけがなく、ベリーズ入国断念・・・と思っていたその時、写真店にエクトールさんのガイド仲間が私と同じ問題で入国できなかったスイス人と一緒にやってきました。幸運にもその人が現金を持っていて貸してくれたのです。「ありがとう!」そこで撮った写真と記入済みの書類、貸してもらった50US$を握り締め入国管理事務所で手続きをし、無事入国。教訓です。

Border for Tikal
さて帰国後に問い合わせたところ、現在観光目的ではマルチエントリーのビザは発行されておらずシングルエントリーのみ!隣国へ出国し再びベリーズに戻る際には出国の際にそのことを担当係員に申し出なくてはならないそうです。また空港で入国する際にも「グアテマラに一次出国する」と念のため申告が必要とか。そうすればラテ子のようなびっくり体験は避けられるそうです。
勉強になりました。とにかく再び入国できたので 、またベリーズでの旅が続けられることになりました。めでたし めでたし!
今日はCHAA CREEK(チャー・クリーク)での滞在最後の夜です。明日の朝は早起きして生まれて始めてのバードウォッチングに出かけます。
ラテ子の初めて旅行体験記 Vol.3
- 2009-05-31 (日)
- ラテ子
しばらく間があいてしまいましたが ラテ子のベリーズ日記第3弾です。
その前に遅れてしまった言い訳を… GW中は東京国際ユースサッカー大会というイベントの仕事に係っており準備でとってもバタバタしていて日記のことが頭からすっぽり抜けてしまってました… 14歳以下の大会で未来のロナウド?ロナウジーニョ?みたいな選手もいて結構盛り上がりました。駒沢公園で開催していたのでもしかしたら偶然観に来てくださった方もいるかもしれませんね!
さてベリーズ3日目は、お隣の国 グアテマラまで足を伸ばしティカル遺跡を見に行きます。ティカルまでは初日にガイドしてくれたエクトールさんが、運転していってくれました。といってもチャー・クリークからグアテマラの国境までは20分程度でとっても近い! ベリーズの出国を済まし、すぐにグアテマラの入国手続きをします。国境付近にはたくさんのグアテマラ人が「グアテマラの通過ケツァールに換金しないか?」とか「タクシー安いよ」とか言ってたくさんの人が寄ってきます。ちなみにベリーズではベリーズドルが通過なのですが、どんな小さい店でもUSドルが使えるので換金しなくても買い物ができます。(2ベリーズドル=1USドルの固定レート) グアテマラはドルを受け付けてくれるところは観光客相手の店のみでレートもあまりよくないような気がしました。

国境までは近いのですが、そこからティカルまでは、ラフな道を1.5時間。途中みやげものやさんでトイレ休憩。(結構 綺麗なトイレでした)
ティカルに着くとグアテマラのガイド リカルドさんが待っていてくれました。英語&スペイン語のガイドさんです。ティカルといえばピラミッドですが、実は自然公園になっていて、ものすごい広い敷地内に遺跡があるのです。「まだまだ発掘されていない遺跡がたくさんこのジャングルには眠っているということだよ」とリカルドさんは言っていました。全部発掘して調べるのには何百年と何十兆円というお金がかかるそう・・・。 気が遠くなるような話です。
ティカル自然公園にはオオハシ、オウムなどの数々の珍しい鳥やアナグマの一種(写真)、
サル、リス、夜になるともっとたくさんの動物が見れるそうです。ただティカルといえばマヤのピラミッドや遺跡しかない思っている人がほとんどなので自然散策に来る人はまだまだ少ないそうです。「早朝の散策はまだ涼しくたくさんの生き物が見られて楽しいよ」とリカルドさんは言ってました。
『国宝 阿修羅展』
- 2009-04-29 (水)
- ラングランドカルチャー
さて、今、もっとも集客力のある展覧会と言えば、上野の東京国立博物館(東博)で開催中の『国宝 阿修羅展』ではないでしょうか。
これを読んでいる皆さんの中にも、既に行かれた方、多いのでは。
日本人ならば、誰もがどこかで見たことがある、
“あの”阿修羅像です。
余談ですが、現在高校で使われている日本史の教科書11冊中、
8冊には、この興福寺の阿修羅像が載っているそうですよ。
数多くの焼失と再建を繰り返してきた興福寺にあって、今回の目玉である阿修羅をはじめとする八部衆、
そして十大弟子たちが今日我々の目の前に姿を見せてくれているのは、
「脱活乾漆造」により軽く持ち運びに優れていたから。
約1,300年前の仏像群が、現代にまで保存されている、と言いますか、
生きながらえていらっしゃることは奇跡とよんでもいいのではないでしょうか。
そして何より特筆すべきは、昨年の『薬師寺展』に続き、やはり展示法が素晴らしい!
通常、興福寺の国宝館にいらっしゃる阿修羅ですが、
普段はガラスケースの中で、前からしか拝見できません。
それが、東博においては360度どの角度からでも観覧でき、障害となるようなものは一切ありません。
・・・しいて障害物を挙げるとすれば、人間でしょうか(笑)、あの人ごみには覚悟が必要です。。
そして、何よりライティング(lighting)の妙が文字通り光っています。
それはまるで、阿修羅像が現代に甦ったかのような、
それは不死鳥のごとく再生を繰り返してきた興福寺とも重なりますし、
本当に生命が宿ったのではないかと疑うほどの強い強い印象を受けました。
私個人の中では、やはり仏像はお寺で・・・という考えもあり複雑な心境もあるのですが、
少なくとも東博においては、また違う表情を私達に見せてくれるので、既に2度会場に足を運びましたし、
おそらくはあと1~2回は残り1ヶ月ちょっとの期間中、お会いしに行く予定です。
三つの顔、六本の腕という異形でありながらも、どうしてどうしてそれが違和感がないのです。
誰しもが最初に注目するであろう正面の顔は、憂いとそして厳しさを含んでいます。
私達に何を伝えようとしていらっしゃるのか、人それぞれの解釈があろうと思いますし、
お会いになるその時々の気持ちにもよって違ってくるのかもしれません。
あの表現力豊かなまなざしをよく見ると、涙が浮かんでいるようにも見えます。
ますます我々は想像力を膨らませるわけです。
是非、この機に天平という遠い時代の精神性をこの阿修羅像から感じ取ってみて下さい。
東京国立博物館 3/31~6/7まで
ラテ子の初めて旅行体験記 Vol.2 ~ベリーズ編 洞窟ツアー~
- 2009-04-11 (土)
- ラテ子
さてベリーズ2日目です。宿泊先のチャー・クリークは、自然の中にコテージが転々と建っているつくりになっているので鳥のさえずりしか聞こえない静かな場所。部屋には電話もTVもないのです。モーニングコールもマンパワーです。スタッフがドアをたたきにきてくれるついでにコーヒーを持ってきてくれます。コーヒーはアメリカと同じ(=薄い)のでスペインのカフェ・コン・レーチェ(カフェオレです)が大好きなラテ子にとってはちょっと物足りない感じでしたがここはアメリカ大陸。仕方がないのであります。
今日はチャー・クリークのスタッフも私がくじけず帰ってこられるかと心配してくれている洞窟探検に行く日です。ベリーズで洞窟ツアーというとマヤの宗教儀式が行われた洞窟を見に行くツアーが大半です。その中でも難易度が高いほうになるというツアーなのですが果たしてどんなツアーなのか… 朝8:00に通称ATM(銀行のキャッシュディスペンサーじゃありません)と呼ばれている洞窟の専門ガイドの人が車で迎えに来てくれます。今日の担当はフランシスコさん。チャー・クリークに長期滞在しているご夫婦が「彼のガイドは最高よ!楽しんできて!」と声をかけてくれました。
洞窟への装備はTシャツ 半パン ぬれても良い運動靴です。とにかくぬれてもすぐ乾きそうなものが良いといわれました。どんだけ濡れるんだろうとちょっと不安になりなましたがとにかく出発!
チャー・クリークを出てすぐ、サンイグナシオの町で洞窟へのエントランス・フィーをフランシスコさんが払いに行き、1時間ぐらい車で走ったところでまずはトイレ休憩。それからさらにラフな道を20分走ります。途中民家兼検札所のような場所でチケットをみせて、さらに10分進むと駐車場があります。そこから洞窟までは徒歩です。木々が生い茂る山道を歩きます。ただ起伏がなだらかなので息切れはしません。いきなり歩き始めて5分のところで、靴を履いたまま川を渡りました。(もちろん橋はありません)膝ぐらいの深さの川を歩いて渡るのです。(季節によって水位が異なるらしいのですが…) その後も洞窟につくまで同じような川を2回渡ることになります。歩き始めて1時間程度すると洞窟へ入る前に軽食が取れる簡単な場所とトイレ(といっても自然の中にちょっとした囲いがあるだけ・・・)があるキャンプサイトに到着します。ここで洞窟探検をする前にチャー・クリークで用意してもらった軽食を食べます。そして懐中電灯のついたヘルメットとライフジャケットを渡されいよいよ洞窟へ。まず入り口からしてものすごく神秘的。
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